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オンライン小説ブログ~青春文芸部~

「サークル執筆作品」
『山田アフター~a secretスピンオフ~』


4

2011.04.09  *Edit 



「はぁ~」
 ため息が出てしょうがない。これでは売り切りワゴンセール状態ではないか。でも買う人はいないだろうけど。
俺はいつものように階段でコーヒーを飲んでいた。今日はなんだか朝から憂鬱な感じなのでブラックで攻めてみる。う~ん、やっぱり豆から挽いて自分で作ったほうがおいしいのか、とそれを言ったら立場が無いことを思ってみる。
 今日は生憎の雨で、この時期の雨と言ったらとんでもないくらいに寒いし冷たいものである。学校に来るまでで鬱っぽくなって、学校に来ても結局はあのことを思い出してしまってまた鬱になる。
 このままでは学校でも俺は根暗なままになってしまう。
「はぁ」
「あ、ここにいたか」
 前から、正確にいえば下から声がした。声のした方を見ると、そこには透がいた。なんだか少し気分が向上する。今は島津さんに合わせる顔が無い。きっと会ったら俺は窓から飛び降りたくなるに違いない。というかここは秘密の場所のはずなのに、意外と発見される率が高くて残念な気持ちになった。まぁしかし、片っ端から探せば見つかるのが道理というものか。
 透は俺の近くまで来ると顔を覗きこむ。今は鬱まっしぐらなはずだから見ても面白くないはずだ。いや、いつもは愉快な顔をしているわけではないことを補足しておこう。今のままではいつも大道芸で顔芸しているみたいな意味になってしまう。
「あのさ、お前、委員会は? 今日あるんだろう。委員長が教室まで来てたぞ」
「え?」
 すっかり忘れていた。今日は会議の日だった。でも行きたくない気持ちが約九割と飛んで限りなく十割に近い値なのだ。足を動かそうとすれば、足が大地にへばり付いてとれない感じだ。このまま足だけ置いていくのもありなのだが、そうでもすれば俺が人間でないことがばれてしまう。と思ってみるも俺は人間だということを思い出した。
 これはかなり重症である。こんなバカみたいな妄想と現実が曖昧に入り組んでしまっているような現状では普段の生活にすら支障が出そうだ。
 それに、
「行きたくね~」
 行ったら行ったで優佳先輩と顔を合わせなければいけなくなる。島津さんとの約束を果たすために俺は今から同性愛専門の恋のキューピッドになるわけだ。俺の放つ矢は理性のせいで見当外れの方向に当たってしまいそうで怖い。それがもし、男同志に当たってしまったなら……。
 ぞ~っと背中に寒気が走る。思わず、誰も入れないような花園の中心にチューリップやコスモスの中で抱き合うマッチョな男を二人思い浮かべてしまったからだ。そしてそいつは二人ともつぶらな瞳で抱き合いながら俺に言うのだ。
「「ありがとう、山田君。君のおかげで僕たちは結ばれたのサ☆」」
 おろろろろ、と今すぐに吐きそうになった。それならばまだ女性同士の同性愛の方が禁断の花園って感じで名前的にも良さげな気がした。しかし、相手が相手でないのならばという前提においてだ。
 憂鬱。ひたすらに憂鬱。でも行かなくてはならないジレンマが俺の周りを蚊のように飛び回った。
 今すぐはたき落としたいが、そんなことをやってはこれから先で大変なことになりそうだ。ここは、素直に行くしかないのだろうか。うん、俺に拒否権など最初から存在していないのだ。
「わかったよ……。行くよ……」
 よっこらせと立ち上がって、陰鬱な気持ちで階段を下りた。我ながら、いつまであの空気を意識しているのか嘆かわしいが、まぁそれはあれだ。察してほしいと誰もいない空間にテレパシーを送ってみた。壁は何も反応しない。もしかしたら、壁が「しゃあねえなぁ」と言ってくれるのを期待していたのに。嘘だけど。
 横では透が歩いてくれていた。頼んでもいないのに、鞄は俺の分まで肩にかけて。そこはとても男らしい。しかし、鞄も持てないくらいに心が衰弱していると思われているのが少し腹立たしいと思うところだ。本当ならば教科書の一冊だって持ちたくない。
 リノリウムの廊下にキュムキュムと上履きが微妙にゴムのような繊維を踏む時に出る音が木霊する。時刻は一応授業終わりだ。廊下の窓から外を一望すれば、灰色一色だった空に一筋に切れ込んだ空の朱色。視線を少し移動すれば、和気藹藹と帰っている生徒が見て取れる。
 空気は相変わらず冷たくて、空は灰色で、まだ少し雨も降っているかもしれない。なのにああやって楽しそうなのが羨ましい。ああいう輩はきっと日々が充実しているのだ。いわゆるリア充というやつだ。俺は一生リア落で過ごすに違いないだろう。
 ちなみにリア落は俺の造語である。リアル落ち込んでいるの略だ。自分にとっても似合うと思って作りだした言葉だった。きっと流行語大賞山田部門にて大賞を取るに違いない。今のうちから礼服揃えないとなぁ。
とどうでもいいことを考えて現実逃避を無意識に行っていたことに驚いた。自己防衛機能が精神にのみ働いていたということか。
「何があったんだ?」
 透が不意に話しかけてきた。歩く速度はそのままで、振り返らずに、その言葉だけを背中越しに俺に伝える。
 別に透の背中と話しているわけではないけれど。俺はその背中に向かって話を繋げた。
「う~ん、言わないとだめか?」
 もちろん、言ってほしいのだろう。俺だったら即答でうんと頷くに違いない。
 というのは一応誤解だということで訂正しつつ、それは絶対に入ってはならない領域の話だろう。俺の考え方がただの自惚れでもない限り、島津さんは俺だから話したんだ。きっと、他の人には話していないはずだった。だから、俺が言えるはずもない。
「そりゃあ、話してほしいけど? 頷いたら話してくれるか?」
 今は背中しか見えない。でも、きっとその表情が見えていたなら。透は絶対に苦笑しているに違いない。
「そうだな~、報酬次第だな」
「誤魔化しにはいりやがって」
 話していて何となく感じることがある。透は俺にそのことを話してほしいのではないだろうと。ただ、俺があまりにも落ち込んでいるから。それを少しでも緩和させる手段を探していたのではないだろうか。
 それはいわゆるコミュニケーションというやつだった。
 だから喋った。
 少しだけ気まずい、この中途半端な廊下の旅路を終えるまでの少しの間。その内容っていうのが思いっきり確信をついているのだが、それでも俺の意識は一人での陰鬱な気持ち、たとえるなら、ドレッシングの底にたまっている小さい粒粒のような所から、ほんのちょっと浮上出来た気がした。
 少なくとも、一人で歩くのかよりはその背中は何十倍も心強い。こういうさりげない気遣いっていうのに気がつくことができると、心に温かいものが灯るのだ。友情っていいなと思う。
「ほれ、着いたぞ」
 透がドアの前で立ち止まる。そこは保健委員会の会議する教室だった。ほんのちょっとの廊下の旅路は終わりを告げて、そして旅の相棒は俺に鞄を寄こした。
 少しニヒルとも取れない笑い方をしながら指をさす。
「まぁとりあえず、ここで頑張ってこいよ。もしも悩んでいることがあってもさ。一個ずつ、一個ずつ片して行けばきっと終わりは見えるから」
 だからさ、と。
「今は迷宮みたいに思ってるものでも、客観的にみれば案外短絡的な迷路かもしれない。もしかしたら、一本道かもしれないだろ? そういう風に見るには目の前のことを一個ずつやるしかないの。俺はお前の友達だ。男友達っていうのは、なんかあったときに肩を貸してやれるような奴を言うんだ。俺にはそれが出来る。もし失敗してもお前が泣いてる時に傍にいてやるよ。ジュースの一本でも手土産にしてさ」
 決して大きくない声だった。
 この広い廊下ではあまりにもか細い声だったかもしれない。反響する声量が少ないから、それは儚く霧散して。それでも俺の心にはズドンとストレートをノーガードで受けたみたいな重みがあった。
 思わず泣きそうになる。うれし泣きって奴。でも今は肩を貸して貰う場面じゃない。故に俺は泣かないのだ。
「行ってくる!」
 雨上がりの空のように心が晴れていくのが分かる。雨というやつは単体では陰鬱の象徴かもしれないけど、太陽とタッグを組めば晴れた時に虹を作ることが出来るんだ。虹は元気になる象徴だ。俺が雨なら、透は太陽なんだろう。
 晴れた後の虹が背中を押した。もう、さっきまでの暗い気持ちが綺麗に洗い流されている。
 手にかかるドアの重みはまだ数倍に感じられる。でも、後ろで待ってくれているという友達を意識した時に、それでも前に進もうと思った。
 今やることは何だ?
 それは島津さんを笑顔にすることだろ。



 ガララと音を立てて扉はスライドした。一斉に中にいた人の視線が俺に向く。一瞬足がすくみそうになるけど、それでも俺は前に進むことが出来た。透が教室を離れる音をドア越しに聞くと俺はあいてる席へと向かった。それは嫌がらせかと思うほどのポジションだった。優佳先輩の隣だ。
「遅いわよ」
「すみませんでした。会議のこと、色々考えてたら忘れちゃってて」
 優佳先輩はため息をつくと、俺の前にプリントを数枚置いた。そしてノートを一枚破くと、それも前におく。見てみれば、それは今のところ進んでいる会議の内容がメモ書きのように書かれていた。俺のためにやってくれていたらしい。
「ありがとうございます」
「別に、当然のことよ」
 優佳先輩は特に表情の変化もないままそう答える。まぁ優佳先輩が言うのなら本当にそうなのかもしれない。ここで淡い何かに期待するほど、俺は優佳先輩を知らないというわけではないのだから。
 会議は順調に進んだ。特に俺が入ったからといって、それが支障をきたすほどでもないくらいだった。自分のクラスのことで言わないといけない所がある、そんな所だけで、俺の出番はほぼ終わり。後は各階の洗面所に配置するせっけんのこととか、トイレにおいておくロールペーパーのこととか。この数カ月で変わったことはないか、それに対する注意などを終えると、委員会は九割終わったことになる。
 後は委員長の方針で、この会議の後に自分たちは何を変えたいのか。もしくは目標、抱負を保健委員会としての立場で言うという作業が残っている。正直、会議で一番面倒なのはこの作業かもしれない。
 次々と委員会の人たちは自分の考えを言っていた。次は俺の番だ。立ち上がると、視線が向いたことを確認して言う。
「俺の目標は、いつでもみんなが笑顔でいられる空間を提供することだと思っています」
 そう言うと座る。まばらな拍手で迎えられた。
 今の言葉にはもちろん意味がある。それはみんなとは俺からしてみれば島津さんのことのみを指す。そんなことをみんなに言えば、からかわれることが必須だから、そんなことは言えなかった。そして提供するというのは、島津さんに絶対、優佳先輩との仲を取り持たせるという意味だった。
 まぁみんなはそういう意味ではもちろん捉えていないが。
 そして最後の人が言い終える。みんなは優佳先輩の号令が終わると一斉に席を立って帰り支度を始めた。俺は他の人とは反対のベクトルに動かなければならない。
 優佳先輩も例外ではなく、ファイルに書類やらを入れて帰り支度をしていた。
 優佳先輩はもちろん美人である。良きお姉さんという雰囲気を持っている人だった。最初の出会いは一年生の委員会。まだそこまで俺が“チャラい”山田というイメージが出来ていなかった時のことだった。その時はまだ、学校でも少し根暗な面が出ていて、そんなに友達もいなかった。いや、全然いなかったの間違いである。
 俺は委員会を決めるときに、何かを変えたい一心で手を挙げたのだ。人まで手を上げようと考えていただけで頭は真っ白だったから、先生の話などもちろん聞いていない。故に、今がどの委員会を決めるために採決かさえもわかっていなかった。
 やっと手を挙げることが出来た。自分の中でそんな自分勝手な自己満足に浸っている時だった。先生の声が俺の中に響く。
 ――挙手があったので、山田君が保健委員ですね。
 そうやって俺は保健委員へとなったのであった。そして最初の会議の時に、その時はまだ委員長では無かった二年の先輩が俺の隣に座っていた。そしてそれが優佳先輩だったんだ。
 今でもその時の出会いは印象に強く残っていた。まず感じたこと。それは自分の春到来の予感であった。季節に反しない気持ちが俺の中で走り回る。
 綺麗だ。
 それがまず初めの印象。
 優しいんだな。
 それが次の印象。
 俺が人に慣れていなくて、自己紹介の時でさえしどろもどろだった時に、優佳先輩はその明るい笑顔で俺を元気づけてくれたんだ。でも、俺はあんまり言えなくて。意気消沈して席に座った。
 ――初めては誰でも緊張するもんね。私は、山田君の自己紹介、いいなぁって思ったよ。
 そんな俺にかけてくれたそんな一言が、俺の視野を何倍も広くした。そんな一言が胸にときめきを抱かせ、好意を抱いた。
 一年間ずっと想い続けていたと思う。だからこそ、今の自分がいるのだから。誰とでも話せるようになり、誰とでも仲良くできる。あの時の自分とは違うのだと見せることによって、成長した自分を優佳先輩の目に留めていたくて。
 でも、結局は仲良くなっただけである。
 それ以上の境界線を俺は踏むことが無かった。いくら話せるようになっても、その境界線だけは踏み越えることが出来なかったんだ。それは、ある意味、友達として仲良くなりすぎたから。それが原因とも言えるだろう。今は優しくて頼れる自慢の先輩、それが優佳先輩の自分の中でのポジションだった。
 こんな綺麗なんだ。島津さんが思わず一目ぼれするのも頷けた。
 あの河川敷にて、島津さんはその時の話しをしてくれたのだ。島津さん曰く「私が学校で困っているときに、優しく手を差し伸べてくれたのが優佳先輩だった」のだそうだ。その時に一目ぼれしてしまったらしい。
 優佳先輩は誰にでも優しいし、誰にでも女神みたいな人だった。故に島津さんもそこに惹かれてしまってしょうがないのだろう。それはまるで斥力のようなものなのだから。閑話休題。
 やがて優佳先輩は荷物をまとめると教室を出ようとする仕草に出る。しかし、まだ残っている俺に目がとまると首を傾げて言った。
「あれ、山田君。まだ帰らないの? 教室閉めちゃうけど」
「ああ、はい。すぐ出ます」
 思わず握りこぶしが強くなった。これからどう切り出そうか。そういうことを考えるだけで頭が真っ白になりそうになってしまうのだ。
 やばい、のどがひっつきそうだ……。
 震える汗だくの手で鞄を掴むと、優佳先輩と一緒に外を出た。先輩がカギを差し込みガチャリと閉める。それを職員室に返そうとそちらの方向に歩きだした。もう今しかないと思うような状況だ。これから先輩は帰るのだろう。先輩がアルバイトをしているなどの情報は聞いたことが無いし、間違っても彼氏などいない。しかも好都合なことに、優佳先輩と俺は変える方向が一緒なのだ。
「あの!」
「ん?」
 優佳先輩は振り向いて止まった。
「何か用?」
 俺は心で“人”という文字を洪水の如く飲みまくる。息が出来ないくらいに飲み込みまくって、その調子で緊張も流し込んでしまおうという魂胆だ。そしてそれには辛うじて成功する。
「あの、一緒に帰りません?」
 にこりと、最高の笑顔でいってみる。夕方の廊下。人はいない。二人の空間だ。明らかにこの状況では放課後デートに誘っているみたいだが、そんなつもりはない。
 言い方は変かもしれないが、優佳先輩はいわば昔の女。今はそういう気持ちはないのだよ、と自分に言い聞かせた。
「ん。別にいいけど、これ、預けてからだよ? ちょっと待てるかな」
「大丈夫っす!」
 よっしゃぁ! と心の中でガッツポーズ後に緊張。これに成功したのはいいかもしれないが、これは言ってみれば序盤。プロローグだ。俺の作戦はこれから起承転結の承から転に移行する場面にさしかかるのである。
 大丈夫だろうか。無事に島津さんへと気を向けることに成功したなら。それはとっても喜ばしくて、とっても切ないのである。そんなパラドックスめいた感情が俺の中でグズグズしているのだけど、それはいったん保留というやつだ。それはパンドラの箱にでもおしこめてしまえばいいのだ。
 俺の長所はすぐに嫌なことは記憶の奥底に閉じ込めて、表層意識に持ってこないように出来ることなのだ、と今考えてみた。有言実行の気持ちで俺は前を向き直った。優佳先輩はすでに歩き始めていて、その背中は夕陽の中にぼんやりと浮かぶ幻のよう。掴もうとすれば、それは蜃気楼でそこには実態が無い。それがあんまりにも綺麗だから。やっぱり嫉妬してしまう。
 いいなぁ先輩は。あの島津さんに好かれているんだぜ、と。
 今はとりあえず追いかけることにした。あんまり考えると、俺は考えすぎてしまうから。だから、追いかけて、自分のやらないといけないことをやりきろうと思ったのだ。


「失礼しましたぁ」
 先輩が職員室から出てきた。そしてこちらに振り向くと、女神の頬笑みを向ける。
「じゃぁ、行こうか」
 先輩は歩き始めた。俺もトコトコとついていって、先輩の隣に並んだ。横を見ればすらっとしたモデルみたいな優佳先輩がいて。不覚にドキドキしながら廊下を歩く。もう時間も時間だった。さっきならばまだ辛うじて、外で遊んでいたり、校舎に残っている生徒の声が聞こえたりもしたが、それらの人はとっくに帰宅したらしい。しんと静まり返った廊下は、一人だと心細く、ちょっぴりホラーな印象を持たせるものかもしれない。
 学校とはある意味で怪談の宝庫だ。昔からあるトイレの花子さんとかそういうの。古い学校ならば、一つや二つは怖い話が存在したり、七不思議があったりするもので。
 気を紛らわすという意味でも、そっちにことが少し気になった俺であった。
「あの」
「ん?」
 例えばだ。今振り返った優佳先輩が優佳先輩じゃないってこともあり得ないことだろうか。もうあれは違う人だ。幽霊だ。幽霊が俺をあの世に連れていこうと、先輩に化けて、俺を誘惑するのである。いや、またはもうこの空間そのものが現実ではないかもしれない、と節目にやる、黒いサングラスをかけた人が司会な同じみなドラマ張りの妄想を繰り広げてみた。
 自分でやっといてなんだが、ゾッとしない。鳥肌が全身を電光石火の如く這いずりまわった。
「どうかしたの?」
 答えない俺に疑問を抱いた優佳先輩は一回大きめの声で俺に呼びかけた。ハッとして現実に戻る俺。もしかして今、精神があの世に向かっていたのでは……とはさすがに思わない。
「いや、なんか、こういう廊下とか見てると、この学校にも怪談とか七不思議ってあるのかなって思って」
 ガチャン!
 大きな音がして横を見ると優佳先輩が派手に荷物を床にぶちまけていた。あの先輩がだ。珍しいこともあるものだと思いつつ、一緒になって荷物を拾った。
「ありがとう」
 えへへ、と笑った顔もいつものようなハリが無い気がするのは気のせいだろうか。元気のないような、怖がっているかのような……あれ。
 そこまで思ってある仮説に至る。それはとってもあり得ないことでもないかもしれないが、そんなギャルゲーみたいなシチュエーションが許されていいものだろうか。いや、断じて否だろう。そしてこの場合、選択している相手を間違っていた。これでは違う人にフラグが立ちかねない。いや、立たないけれども。
 仄かに暗くなる廊下。夕陽に雲が入ったようだ。朱色はグレーのフィルターを通して光を飛ばす。しかし、灰色は思ったよりもつわもので、その綺麗な朱色は約六割減でその光を伝えることしか叶わない。
 ただでさえ人気のない廊下である。これはさすがに怖がりでないやつも少しは不気味に思うのではないだろうか。ごくりと生唾を飲み込む。無意識に首元のネクタイを少し緩めた。
 優佳先輩が無言で立ち上がる。その顔はあの空に広がる雲に負けずとも劣らない曇り具合。グレーの配色が激しい気がしてならなかった。
 まさかなぁ。
 いやいやまさか。
 まっさかぁ~~。
 段々と燻ぶるのは俺の中のいたずら心、もとい、探究心や好奇心といった感情である。徐々に黒くではない。紫というのか、ピンクに近いものというのか。複雑な色の感情がせせりあげ、そして俺の心を徐々に覆っていく。俺はそれに為す術もなくされるがままである。それに抵抗した理性は一秒しかもたなかった。
 完全に色に染まった時、俺は覚醒する。
 なんかアニメや漫画の下りみたいだが、それは違う。覚醒といっても、空を飛べるわけでもないし、マントから刀を取り出すわけでもない。ただ単に欲望に忠実になっただけである。
 何の話からしようか。いや、ここは脅かす方がいいのかもしれない。
 生憎、先輩はどうやら前だけしか気になっていない。後ろがガラ空きである。ここで変態、俺では無い、がいたとしたら、ここでたちまち先輩はそいつの餌食になってしまうだろうか。もちろん片手にはクロロホルムを装備しているのである。
 と馬鹿な妄想は頭から振り払わなければ。バチンと両頬にビンタをした心意気で忍び寄った。
 一歩、また一歩と進んでも、先輩はこちらに気づいていない。というか、このままだと俺の存在そのものが無いものになっているかもしれない。それは冷静に考えればとっても酷いことなんではないだろうか。
 フルフル。頭を振った。色々な邪念が入ってきていけない。今は目の前にいるウサギにいたずらを仕掛ける時なのだ。
 機は熟した、そうほぼ真後ろに立った時に俺はそう確信し。そして息をゆっくりと肺一杯まで吸い込んだ。そして、
「わっ!」
「きゃああああああ」
 こっちに向いて、何かしら言ってくるのかと思った優佳先輩は俺の思惑通りには動いてくれなかった。
 まずはフェーズワンとしては、優佳先輩が驚いてくれたのは良かったんだろう。しかし誤算があるとすれば、フェーズツー、ここでこっちに向き直ってくれることを期待していたのだが、先輩はそのまままっすぐと脱兎のごとく走り去っていってしまった。
 そしてフェーズスリー。優佳先輩は学校で陸上系の種目がとても得意だったことを思い出した。
 俺は走り去る背中を茫然と見送り……じゃなく、すぐに気を取り戻して追いかける。しかし、早い早い! 俺が階段を下れば、先輩はもう見えなくなっていた。あのか細い体のどこにそんな筋肉が隠されているというのだ。俺はとうとう追いつくことが出来なかった。
 そんな調子でトボトボと昇降口まで戻る。そこには当然のことながら誰もいない。
 もう帰ってしまったんだろうか。よく分からない倫理観から、優佳先輩の靴箱を調べる気にもなれずに俺は自分の靴を手に取る。今日は朝の占いでラッキーアイテムがスニーカーだったためにローファーでは無くてスニーカーにしたのだった。
 紐を解いて、足を入れて紐をまた締めなおす。その時だ。
「やっと見つけたよう」
 背中に温かみとそして重さが勢いよく覆いかぶさった。反動で思わず背骨が前かがみに限界以上に曲がりそうな気がしたが、なんとか腹筋と背筋が頑張ってくれたみたいだった。
「くっ」
やっとこさ、その重みを押し上げた。若干、人のものとは思えないほどのマシュマロみたいな何かの感触が離れて言ってしまうのが少し惜しいが、ひきはがす。それははたして、優佳先輩ではないか。
 こんなにも女の子っぽかったっけ?
 正直戸惑うしかない。だって、優佳先輩のイメージとしては、お姉さんで頼れて、すごいのだ。なんというかすごいのだ。なのにどうだろう、今の先輩は完璧に女の子なのである。女は仮面を使い分けると言うが、まさにこのことだったのだろうか。
 いやいやいや。
 ブンブンブン!
 いつもより激しく頭を振った。戻れよ理性、そして戻ってこい俺の現実。こんなにおいしい展開があっていいはずが無いんだ。そして俺には島津さんとの約束が、約束がぁ~~。
「ふん!」
「どしたの?」
 半泣きの先輩に心配されてしまった。これでは俺の方が重傷みたいではないか。少なくとも、心はそうなんだろうと一瞬思ったけどやめた。世の中には思ったら負けが多いのであるからして。
 それよりも現状を理解する方が先決に決まっている。
「何がどうなったんですか。いきなりいなくなるし」
 俺が言うと、先ほどよりも一割増しの半泣き顔が戻ってきた。
「だって山田君が脅かすからだよ。驚いて走って。走って。走って。あれ、ここどこだろうって。やっと、ここまで来たら山田君がいて。それで」
「抱きついてきたと?」
「ん」
 コクリと頷く優佳先輩。ごめんなさい俺の理性。限界が近いです。
 いくらなんでも可愛すぎる。そしてなんだこのおいしすぎる展開は。今日に限ってこんなに可愛いんだなんて。
 潤んだ瞳が俺を引き寄せる。湿ってプルンと艶めいた唇はとても魅力的に見えた。大きすぎず小さすぎないバストは強調されて、すらりとしたボディラインが俺を誘惑した。漂うオーラは俺を取りこみ、今すぐにでも狼に変えてしまおうと画策している気さえする。俺の中の煩悩という本能が暴走して、体中の筋肉繊維一本一本を操作しようとしている気がした。これは集団無意識からの反応なのだ、と煩悩が言い訳している。
 だから、襲っていいというのか。答えは否だ。やってはいけないのである。
 先輩は俺がこうして妄想に耽っている時でも、縋りたいという気持ちを前面に押し出してウルウルと潤んだ瞳を向けてきた。理性どころか違うところまで反応しそうな勢いである。これでは明らかに俺に気があるのではないかと勘違いしてしまう。それで言うと、あれだろうか。据え膳食わぬは男の恥、というやつだろうか。
 う~ん、と俺の心の中の葛藤がやばいことになっている。
 先輩は俺の袖をつかむと俯いた。頬が赤みを帯びている気がした。
「それで、お願いがあるんだけど……」
「はいはい、なんでも言ってくださいね!」
 もう上機嫌で何が何やらわからなくなってきた。もうどうにでもなれ。お父さん、俺は、今から男になるかもしれません……。
 とそんなに現実は甘くない。
「トイレ、ついてきてくんないかな。怖くって」
 拍子抜け、という表現は適切ではないかと思われるが、それはある意味的を得ていた。少なくとも、俺の心をぶち抜いているのだから。下は反応しかけたのに、心が転んでしまったような感じだった。
 しかし、トイレである。さすがに女性のトイレについて行くのは抵抗があった。こんなところに転がっている理性を拾い上げてそう思う。
 ギアがオーバートップからトップに戻る。冷静に考えてみて、確かに先輩には悪いかもしれないけど、ここはお断りするべきであろう。デリカシーがない。そして俺の最後の理性が見せたささやかな反抗だった。
「すみません、さすがにそれはできません。しかし! 帰りませんから。行ってきてくださいな」
 ドシッとその場に座ると、笑顔で言ってみた。さすがに原因は俺にあるのだし、これが一応、俺なりの責任の取り方のつもりで。先輩は泣きべそをかきながら、笑顔を振る。
「だよね、ごめんね、変なこと言って」
「いえいえ」
「じゃあ、行ってくるから絶対に帰らないでね!」
 俺が手を振ると、先輩は瞬く間に廊下の奥へと消えた。その背中は最後までついてきて欲しいなという感じが伝わってくるのが印象的だった。
 俺は満面の笑みで幸福をかみしめている。もうこの際だから島津さんには悪いけど、二人でデキてしまうかもしれないと、心の中で島津さんに今から謝っているところだ。あの人が恋人なら、悪いが、いい気しかしない。元々、恋してたし、それに島津さんとは叶わないのだから。それならいっそ……、
そんな俺の決意が脆くも崩れそうになった、次の瞬間。
「あれれ、山田君、こんなところにいたの?」
「うひゃおおおう!」
 後ろから声が聞こえて、急いで振り返ると、あれ、目の前には優佳先輩がいた。手には鞄を持っている。先ほどはここにおいて行ったはずである。しかし、そこには何も置いていなかった。
「さて、帰ろうか」
 特に何も言わずに優佳先輩は歩き始めた。まるで先ほどの会話も行動も全てが無かったことのように。頭の中では疑問符が飛びまくっていた。いくらなんでも早すぎる。それに外から来るなんてどうしてもおかしいだろうと。もしかしたら、トイレから外に出て、というケースも考えてみたが、全てにおいて矛盾しか残らなかった。
 とりあえず俺はその背中を追いかけた。追いついたころに先輩は俺にゴツンと一発軽くだが、ゲンコツをした。痛くはなかった、でもくすぐったい感じがする。
「今度からああいう事はしないこと。びっくりしたんだから。おかげで先に帰りそうになっちゃったよ。まぁ途中で気付いたからよかったけど」
「え、でもさっき」
 優佳先輩は疑問符を浮かべた。俺が言っていることが理解できないというのだ。あまりにも遅いから、昇降口で待っていた先輩は、俺が迷ったと思って、先輩は一回外に出て見回ったそうだ。そして戻ったら俺がいたと。先輩の話ではそういう事になっていたらしい。
 俺の中では後から優佳先輩が来て、いきなりイチャイチャして、そして先輩はトイレに行った、と。そういう風になっていたはずだった。
 先輩は靴を履きながらしきりに「本当に心配だったんだから」と呟いている。先ほどのことで正直混乱しているのは確かだが、そこまで心配することはないと思う。まるでここで何かあったみたいではないか。
「そんな心配することでもないのに」
 正直な気持ちを呟くと、先輩はむむむ、と唸る。
「ごめんね、この学校に伝わる怪談の一つに“放課後の連れ去り女”っていうのがあってさ」
 え。
 俺は何やら得体のしれない感覚に襲われた。いやいや。まさか。
 必死にあふれ出る冷や汗を拭う。
「そいつはその人の今一番会いたい奴に化けて……」
 俺は頭が真っ白になった。なぜならば。いや、これはもしかして。もはや確信に近づいて……。
「……でね、そいつに山田君が捕まったんじゃないかって、思って。君が原因だけど、私が置き去りにしたのは変わりないしね。怖がりなのに頑張ったんだから」
 もう、とお母さんのような仕草をする。本当にこういう仕草の似合う人だと思う。しかし。
 マジで心霊現象というのに立ち会ってしまったというのか。もう冬だぜ。幽霊がお盛んになるのは夏で。お盆で。それはもう過ぎていて。怪談話の消費期限は何カ月も前に過ぎているというのに。クリスマスが近いんだぜ。そんなことあっていいのだろうか。
 そして思った。というか、もしもあの時について行ってしまったなら。もしくはついて言っていたならどうなってしまったのか。
 思っている時に優佳先輩のトドメの一言が降りかかる。
「そしてね、そいつは化けて人をあの世に引きずり込むのよ」
 ゾワワワワワ!
うわーーーー。鳥肌が薬をキメている感じに全身を走り抜けた。俺は今までその幽霊と話していたというのか。そしてもしもあの時に、優佳先輩(偽物)の色香に惑わされて、理性よりも煩悩が勝っていたとしたなら。もしかしたら、今ここに、もとい、この世に俺は存在していなかったのかもしれない。
 マジであり得ない。
 呆然としながら俺は校舎を出た。そして校門を出る時に、後ろを振り向くと、校舎の窓から女の人が覗いている気がした。
「どうしたの? 忘れ物?」
「なんでもないっすっ」
 もしも忘れ物があっても行くものか。とりになんて行くもんか。俺は先輩の背中を押して帰り道を促した。先輩はじゃれているとでも思っているのだろう。「私まだおばあちゃんじゃないから歩けますよぉ」と笑って押されていた。
 ああ、貴方は罪な人だ。
 これから話さないといけない本来の要件を丸ごと吹っ飛ばしてしまいかねない体験だった。驚かそうとしていた人間が驚かされる。ミイラ取りがミイラになる、俺のためにあるような言葉だな。
 ほら、空も俺を嘲笑しているぞ。
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