FC2ブログ

オンライン小説ブログ~青春文芸部~

「サークル執筆作品」
『山田アフター~a secretスピンオフ~』


3

2011.04.09  *Edit 

 何が言いたかったのだろうか。
 俺は帰りながら考える。
 雪が顔に吹き付けて、少し痛かった。今日は寒いという天気予報だったのに、それでもあんまりモコモコしていたくなくて。カーディガン一枚で来たのが明らかに失敗だった。だって、制服にはしわがたくさん付いていて着たくなかったというのはいいわけである。
 もんもんとしながら家に帰る。母さんには曖昧なただいましか言えなくて。そのまま自室へと赴き、ベッドに体重を預けた。
 ギシッとバネが軋んでまるでそれは重いぞとベッドが文句を言ってるみたいだった。もちろん俺はそんなに重くない。平均の体重より軽いくらいだ。
俺は寝転がりながら天井を見上げた。こういう時に見上げる天井は、何か特別に感じることがある。特に何かを天井が伝えたがっている、とか超常現象的な意味では無く、いつもはもうあんな所に天井があるという意識がとても曖昧なものになって、ああ、天井って高いなとふと思ってしまう。ただそれだけの話だった。
 手を伸ばしても届かない。当たり前のことだ。もしも、ここで手が届いてしまったのなら、それは俺が立った時に頭と天井がこんにちはをすることをさしている。
 寝返りを打つ。
 自分で自分を包み込むようにして体を丸めた。リモコンで部屋の電気はオフにして。そうするとひどく落ち着く気がするのだ。何かに守られているような気がする。そんな物はありはしないのに。以前、寝る時の恰好で、なぜこれが落ち着くのかという記事があった気がした。自分を守るように丸くなって寝ると落ち着くのは、それが母親のおなかの中にいる時の同じ格好らしいからだ。
 マザコンでは無いと信じたいが、自分にはそちらの気があるのかもしれない。男は誰だってマザコンだ、どっかで聞いたことのある言葉だった。
 段々とまどろみの中に俺は身をまかせ始める。ゆらりゆらりと意識の船は幻霧の中を漕ぎ始めるのだ。霧まみれの川は程よい揺れ方をして、意識をさらに深い部分に潜らせる。
 それが行きつく先を俺は知らない。ただ身を任せるだけ。それだけでいい。余計な力はいれないで、船頭が目的の場所までは運んでくれるはずだ。
 そう感じながら俺は。
 幻霧の中を突き進み、やがて霧が晴れて……。


 ガタンガタン!
 けたたましい音が俺の鼓膜をノックした。ハッと我に返って辺りを見回す。どうやら俺は島津さんを見送ってからそのまま呆けていたみたいだ。電車の走る音がフェードアウトするのが分かった。いや、もっと他にしていたような気がしないでもないが、今ここに俺は立っているのだからおそらくはそうなのであろう。
 もう家に帰っていた気がしたのは白昼夢を見ていたからだ。
 そんなどうでもいいことを考えながら、自分は妙に窮屈な感じがしてならなかった。苦しい? いや、苦しいというよりは心地よい。何か落ち着く感触が俺の体をまんべんなく包み込んでいた。
 いい匂いがした。女の子特有の甘い香りだ。
「……くん」
 そう、そうして耳に心地よいソプラノが奏でられる。聞いていて心底落ち着いて、そしてとても愛おしかった。
 ん?
 何か変だぞ。
 何がおかしいのか考えてみた。結論。俺はどうして声を聞いた。そこしかないだろう。
 様々な憶測が飛び交い、やがて一つの答えを導き出した。脳内会議の結果は「下を見ろ」だ。
 視線が少し下を向く。そして驚いた。視界にはただの平坦な白い結晶たちが覆っているコンクリートの景色しか見えないはずなのに、俺の目には何が映っているのか。そう、俺の目にはまぎれもない、人の頭のてっぺんが見えた。
 それは最近見るようになって、そしてどんどん好きになっていた人の頭な気がした。
「山田君?」
 否。その人の頭であった。
 声を聞いて確信する。周りの寒さが吹き飛ぶように血液が沸騰しているかのようだった。体が熱い。そして、愛おしい。
 気持ちが溢れだす。その匂いに体は支配され、その感触に心が掌握された。五感が全て彼女を欲している。
 半ば緊張の面持ちでその人の顔をしっかりと見据えた。やはり島津さんの顔だった。精緻な顔の作り、すらっとした骨格。ぷっくりとした唇に、マロンブラウンの瞳。思わず吸い込まれそうな造形美は間違いない。華奢で可憐な巻きついている腕も。確かに感じる体温も。
 そこまで理解してさらに頭では混乱した。意味のわからない現状がやっと理解できたからだ。
 まずなぜに自分は島津さんに抱きしめられているんだ?
 これが疑問一つ目。俺は確かに島津さんにじゃあねをしたはずだ。だって、最後のバイバイは口の形で分かったけれど、その前の言葉が分からなくてという経験をしたはずなのに。これでは説明がつかない。
 そしてその目は何だろうという疑問だった。
 何かに縋りたい。甘えたいような、そんなものを要求するかのような瞳は、俺のチキンハートをぶち抜いた。このまま殺されてもいいかと思うような甘い時間が過ぎる。どんなに甘い時間でもそれには絶対終わりがある。
 この場合にもそれは適応されていて。何とも世の中は寂しいものかと思った。
「もう! 何で何にも言わないわけ!」
 さっきまで俺の体を包み込んでいた彼女のベールが剥がされて、気持ちがひゅるりと寒くなる。ああ、と思わず心の中で手を伸ばせども、悲しいかな、それは彼女には届かない。
 島津さんは寒さからなのか、恥ずかしさからなのか判別できないが、頬を微かに上気させ、うるんだ瞳で俺を見上げていた。明らかに怒っているように見えるのに、しかしそれは彼女のある一種の愛情表現に見えてならない。
 思った通りに、彼女は「ぶぅ」と頬を膨らませると、また俺に抱きついてきた。今度こそ逃がさないように俺は両腕を島津さんの背中にかぶせた。何でこんな破廉恥な行動に出られたのかは分からないけど、体が勝手に動いたのだ。これは愛の為せる技なのか。いや、脊髄反射のようなものかもしれないと思う。
「やっと、抱きしめ返してくれたね」
 ん、と島津さんは俺の腕の中で一回うなずく。
 もう、我慢できなかった。
 もう、抑えきれない。
 衝動が俺を襲う。自分を抑えるリミッターが、大体三十層はあるはずなのに、それが一気に解除される。どれだけもろいリミッターなのかと思うけども、それを考えるより先に腕に入る力が強くなる。
「痛いよ」
「ごめん」
 声が出る。自分で声帯を動かしているわけじゃないはずなのに。声が俺を通じて外に這い出てきた。最初こそ戸惑う。でも、ここまで来たらもういいじゃないかと思った。
 今度こそ、俺は自分で声帯を震わせた。その気持ちを込めて。
「でも、好きだから」
「ん」
 彼女は静かにうなずいた。
「最初は島津さんが人気者だったから、だから憧れて、それを恋愛感情と勝手に結び付けてた。それは恋愛感情なんかじゃないのに」
 彼女はまたうなずく。
「ん」
 様々な気持ちがあった。いろんな想いがあった。幸野や透を見ていて思ったこと。本当に好きになるってああいうことを言うのかなっていう疑問や、憧れを取り違って透に言って聞かせた時の恥ずかしさ。関わりあいになんてなれると思っていなかったあの出会いの時の感情。憧れとか諦めとかを超えて芽生えた本当の恋心の話とか。色々と。
 思いのたけを言葉に乗せて。
「でも好きになってたんだ」
 想いは五線譜。言葉は旋律。
「離したくないんだ」
 届け。そう感じながら。俺は紡ぐ。想いは届くのだと信じながら言葉を奏でた。
 そしてそれは相手に届き。島津さんは顔を上げる。
 柔和で優しそうな笑顔。その瞳は熱っぽくて情熱的だと思った。
「私も」
 その刹那。
 彼女は一気にかかとを上げる。精緻な作りの顔が俺に急接近してきて。そしてその柔らかそうな唇が。ちょんと俺のそれに触れる。
「私も山田君が好き。大好き」
 夢のような時間だった。
 湿った唇の感触がとても柔らかい。ファーストキスは何味かと聞かれても、それは島津さんの味としか表現できない。味をレポートする前に爆破しそうなこの理性をなんとかしなけれないけないのだから。
 何も感じない。
 寒さも何もかも。
 ん?
 何もかも?
 急にひどい立ちくらみに襲われた。足元がぐらつき、三半規管が警報を鳴らす。込み上げてくるのは何だろう。吐き気に襲われて俺は島津さんをひきはがす。
「山田君?!」
 ああ、そうだ。これはなんだかやっとわかった。いや、多分分かっていたんだ。でもそれに甘んじて悪ノリしてみただけなんだ。これは夢だ。夢の中だというのに、まだ島津さんは俺の名前を呼んでくれている。
 甘い時間を過ごしたい。ただそんな願望が見せた少しの幻想。これでお腹がいっぱいかと言われればそれでは腹八分目であると言いたいが、これはこれで。ある意味満足いく結果になった。
 夢というのはいつだって。
 最後まではやらせてくれない。
 ここぞという時に取り上げられてしまうおもちゃのように。長い時間ゲームをやって、いいところで母さんがゲームの電源を引っこ抜くかのようにシャットダウンするものなのだ。
 これも例外に漏れない。いい加減神様もこういう意地悪はやらなくてもいいと思うのに。


 ガタン!
 ひどい頭痛が襲った。
「はぅ!」
 俺は急いで目を開ける。すると、そこには上下が反転した俺の自室が目に映る。そこは俺の部屋で、推測するに、俺はベッドから落ちたのだろう。
 なんてベタなオチなのだ。展開のあまりの出来の酷さに俺は悲しみを覚えた。実はこれが夢で、俺は事故に遭い今も病室で眠っていて……というオチの方がまだましな気がする。そしてあまりの眩しさに目をくらました。
 俺の部屋の窓からは暗い空から一筋の、まだ小さな太陽が昇ってきている最中だった。
 そう、昇ってきて……。
 ハッとして枕元の時計に手を伸ばす。そこに表示されている時間とは、見事に日付が変更した後の時間であった。あのとき俺はふと眠るつもりが、そのまま寝てしまっていたらしい。
 どれだけ眠かったんだ俺は。
 あればあるで、無駄だと思う時間だけれど、無ければ無いで惜しいことをしたと思うのもまた心理。太陽はまだ昇り続けている。このまま時間が過ぎ、今日は始まるのだ。
 ふと以前に読んだ小説の内容を思い出した。
 それは起きたらいつもの日常が始まり、主人公は退屈していた。この時間がいらない。一人になりたい。そう思った時だった。主人公の中で誰かが静かに呟くのだ。
 ――なぁ一人になりたいのかい?
 鬱屈した気分の主人公は一言返事で答えてしまう。
 ――ああそうだよ。
 それが全ての間違いだった。その時はたまたまそういう気分なだけであったのだ。前の日に親とけんかしたりして、気分が最悪なだけで。本当はそんな終末を望んでいたわけではないのに。現実は主人公の思いとは裏腹に加速していった。
 その日は家に帰り、眠りに就く。そして、次に目を覚ました時に、主人公の世界は変わった。何もない世界だった。それは抽象的な意味で、現実には建物はあり、自分はその部屋に住んでいて、何もかもが日常通り。
 何が無いのかと聞かれれば、それは“生気”というもので。生き物の要素を感じさせないその世界は、いつも通りの景色でありながら、そこは明らかに違う別次元で。吐き気を催すような魔空間で。
 どこに行っても同じだった。
 いつも通う通学路。人でにぎわう表通り。駅、学校。全てを見てきたけれど、そこにはやはり人が無い。やがて何物かが呟く。
 ――どうだい? この世界の居心地は?
 その何者かが主人公をその空間に引きずり込んだのだ。理由は分からない。それはたまたまそこに自分がいたからなのかもしれない。主人公は叫んだ。とにかく元に戻してくれ。俺はそんな世界は望んじゃいない、と。
 ――そうか。ならば。
 そして視界は暗転し、再び目を覚ました。そこは雑踏だった。人々で賑わう交差点。仕事で忙しそうな人や、高校生の話声が主人公には奇跡みたいに思えた。その時に。
 ――第二幕の始まりだ。
 不穏な声が響き渡る……。
といったような話だ。ジャンルはホラーで、それがテレビ番組で毎年秋や冬の節目に特別ドラマとしてやっている奴が小説化したので興味本位で読んだやつだ。結末を言えば、そいつはもう元に戻れない。というか、そいつは死にながら夢を見ていた。
 覚めない夢を何度も見て。起きてもそれは現実じゃないともがき苦しむ。何度も何度もその狭間を行き来する。多重夢と起きてしまった身の内を受け入れられないと言った悲しい結末に幕を閉じた。
 時々思うのだ。特にこういったあまりいい気分じゃない時は。
 起きたらそこには俺しかない。何もない世界にいる。そして永遠と俺は一人。世間の悲しいことや辛いことから俺は逃げ出すことに成功する。しかし、そこに救いはあるのか。それで幸せなのか。
 分からなかった。別にそんなことは現実に起こるわけでもないのに、そんなどうしようもないことを考えて、それでも俺は悲しくなって。やっぱり、俺は学校でないと根暗な人間なんだと自覚してしまう。
「おっし!」
バチンと一回自分に渇を入れた。起きたてのビンタは体に染みる。今日は一日、学校モードの自分で生活するのを試みることにした。と思うけれど、もう一回時計を確認すると、そこには曜日がきっちりと示されている。
今日は土曜日だった。



 う~んと頭を捻りながら俺は住宅地を歩いていた。あの夢が頭から離れてくれないのだ。いやしかし、あの時の島津さんは可愛かったと思う。
 いやいや、こういうことを考えるからいけないのだと気分を立て直し、また歩いた。
 現実の問題だ。俺が島津さんと付き合えるわけがない。俺はただの男子生徒で島津さんは学園のヒロイン。たまたま今は話したりするけど、俺が見る限りでは、島津さんが俺に気があるように見せたところは皆無と言っていいだろう。それこそ友人の関係にしか見えないのだから。
「きゃうん!」
 飼い犬であるミニチュアダックスフンドのヴィタが元気よく吠える。俺の手から繋がれたリードの先で、元気よく跳ねまわっていた。なにぶん最近はこいつの散歩などしてやれなかったからそれで喜んでくれているのだろうと都合よく解釈することにする。
 いたって平和な休日の風景だった。
 こうやって普通に俺は犬の散歩なんぞして、目の前で井戸端会議している主婦たちの光景もいつもと変わらない。
 誰かが言った。日本は平和ボケしていると。
 それでいいじゃないかと思う。だって、それほど楽にしていられるわけだから。いざ銃とか持たされたら俺は何をするのかも分からない。俺のチキンハートは特別製だ。こんなにも平和だから、ちょっとしたボランティアな精神が生まれてくるわけだ。
 例えば、交差点を荷物が重くて、渡れない老人。あらゆるところで余裕が無ければ、普通ならば、だったらそんな物を買うなよと思い素通りするところだ。しかしどうだろう。金銭にも気分にも余裕があれば可哀想だなという気持ちが芽生える。そして人助けをする。
 例えば食べ物に困っている友達がいたとして、明日食うものにも困る人ならば、まさか自分の食べ物を分け与えることなんてしないと思うのだ。中にはいるかもしれないけれど、少なくとも俺は違う。これを食わないと明日死ぬかもしれない。そんな中で俺は相手に使う気づかいなど皆無なのだから。でも、それだって余裕があればちょっと分け与えることだってできるのだ。
 俺が今日犬の散歩をしようなんて思ったことも然り。余裕が無ければできないことであることに間違いない。
 平和ボケ上等。
 平和ボケ最高である。
 故に人は人を気遣う心を持つことができるのですよ、と。そんなことを思いながら道を歩く。やがて道は開けて河川敷にでた。河川敷で昼間とはいえ、さすがに十二月。吹く風は冷たく。刺さるようであった。
 川沿いを歩く。
 ヴィタがご機嫌でしっぽを振る。
 俺もそんなヴィタを見てご機嫌だ。
 すれ違いざまに挨拶をしてみると、相手も笑顔で返してきた。今日は学校モードで行こうと決めたのだ。こんなに社交的な自分でいられる。
 ポケットからボールを取りだした。近くの開けた川沿いの空き地で適当に場所を取ってヴィタにそれを見せた。ヴィタはそれが何なのか理解すると、先ほどよりも数倍の勢いでしっぽを振りまくる。
 犬というのは単純明快な生き物である。元気があればしっぽを振り、それが飼い主の前だとさらに振る。元気が無ければ尻尾はだらりと垂れ下がり、泣き声まで「クゥゥン」と寂しげなのだ。そんなに直情的でいい感情任せの世の中ならいいのにな。
 そんなちょっとの羨望を自分の飼い犬に抱く自分が恥ずかしいわけでもあるが、とりあえず今は遊んでやるとしよう。
「ヴィタ!」
 ヴィタの前でボールを数回ちらつかせて、一気に投げた。放り投げられたボールは楕円を描きながら地面に向かう。そして地面に落ちる前にそれをヴィタがキャッチした。
 スタスタとヴィタは走ってきて、俺の前でボールを解放した。
「ワウン!」
「そうかそうか」
 わしわしとヴィタを撫でてやると、嬉しそうにまた吠えた。ご褒美にポケットから犬用のお菓子を取り出して食べさせてやる。
「ワンワウン!」
 飛び跳ねてじゃれていた。本当に可愛いやつである。俺は持参してきたブルーシートを地面に被せて、そこに腰を下ろした。他にも玩具はいっぱい持ってきたので、しばしの休憩タイムと洒落込む。ヴィタは目の前にだされた玩具で目を輝かせ、元気いっぱいに遊んでいた。
 最後にもう一回ボール遊びしておくかとヴィタを呼んだ。そしてボールを思い切り投げて……あ、投げすぎた。
 最初こそ順調に弧を描いて飛んで行ったボールだが、いかんせん飛距離がありすぎて飛びすぎた。そのボールは空き地を過ぎて、そしてチャリに乗って走っている人の目の前に落下した。
「きゃぁ!」
 焦ったチャリの人は慌ててブレーキをして、なんとか転ばないような状態であった。ちなみにヴィタはそんな人には目もくれず、そのままボールめがけて飛び込んでいき、チャリの人をしり目に俺の方に飛び込んでくる。
 さすがに気まずい俺だから、とりあえずヴィタからボールを回収すると、チャリの人のもとへ走っていく。
「あの~すみませんでした。俺がボール投げすぎちゃって」
 相手は体勢を立て直すとこちらを向き直る。
「本当よ。投げる時はちゃんと注意して……ってあれ? 山田君」
「は?」
 もう一回相手を確認する。まずは体のラインから確認だ。うん、男の体では無い。そして徐々に上に視線が移動して、結構豊満なものを持っていることも分かり、最後に顔。そしてそれは島津さんであった。
「島津さんじゃん。あれ? どうしてここへ?」
 確か島津さんの家は俺の家から一番近い駅から一個先のはずだ。
「これはね、せっかくいい天気だし、サイクリングもいいかなって散歩ついでにね、河川敷をずーっと走ってきてたの」
「ああ、そういうこと」
 それだったら納得だった。一個くらいの距離ならば、自転車で行くのは他愛もないこと。ならばいつも自転車通学にすればいいのにというどうでもいい提案はとりあえず端に放っておくことにした。
 島津さんは俺の足元にすり寄っていいたヴィタを見て目を輝かしている。
「ねえねえ、それって山田くんちの犬だったりするの?」
「ああ、ヴィタっていうんだ。ミニチュアダックスフンドのオスだよ」
 とそれを言い終わらないうちに、島津さんはヴィタに駆け寄っていた。抱きしめて頬をすりすりしている。
「きゃ~ん、可愛い~」
 ヴィタも現金な奴で初対面の男なんかは吠えまくるくせに、島津さんには笑顔で抱きつかれて居やがる。犬の好みも飼い主次第ってことなのだろうか。それよりも、犬になりたいと俺は思った。
「ヴィタって言うの?」
「キャウン!」
「かっこいいね!」
「キャンキャン!」
 スリスリダキダキ……。俺はいい加減耐えられなくなった。ヴィタは犬であることをいいことに、島津さんの体を堪能しまくっているわけだ。いくらなんでも。犬でも許せないことが男には一つや二つあると思うのだ。心の中では燃える闘志が叫んだ。
 ――犬だからって調子に乗るなよ! 羨ましいんだよ~~~~っ。
 むんずとヴィタの背中をつまみあげると、自分の腕に抱かせる。最初こそまだあそこにいたいみたいなまなざしを向けていたが、やはり主人のもとが落ち着くのだろうか。ヴィタはやがて、俺の腕の中で静かに丸まった。
 結局は俺がいいと言うのか。まぁ許してやらんでもない。
 一息ついて前を向き直ると、今度は島津さんが俺の方を見て羨ましそうに見つめていた。最初こそ、俺のことをそんな見つめられても……照れるぜ、と思ったのはもちろん嘘だ。
「あのさ、今下でブルーシート敷いてて、そこでヴィタと遊んでたんだ。だから、島津さんもどう?」
「いいの?!」
 まぁ素直な性格だこって。
 女というやつは誰も彼もこういった小動物が好みなのだろうか。だからモテルことを理由に犬を飼う不届きものが増えるのだ。ちなみに俺は違うと言っておく。俺がヴィタを飼い始めたのは、中学に入る前。まだ俺が純粋無垢な少年時代である。嘘はついていない。多分。
 また空き地に戻る。ブルーシートを整えて、そこに適当な布を敷くとそこに島津さんを案内した。
「どうぞ」
「あらら、山田君って案外紳士なのね」
「当り前だ。俺はいつでもレディファーストなのですよっと」
 俺もその隣に座った。ブルーシートが小さいからだろうか、心なしか、いつもよりも島津さんと俺の距離は近かった。ドキドキしているのは俺だけだろうか。隣を見てみる。ヴィタはまた俺のもとを離れて、今度は島津さんの膝の上で丸くなっていた。
 優しそうな眼差しでヴィタを見つめて、その頭を撫でていた。
 知らない表情だった。多分普通に高校に行き、その時には知りえなかった表情だと思う。とっても優しくて、とっても魅力的な表情だった。
 そんな天使みたいな横顔がふと俺の見据える。
「どうしたのよ。ぼーっとしちゃって」
 あ、と。
「ヴィタはまだ返してあげない。だってフサフサで温かいし、可愛いんだもの」
 そっちか。思わず、何見てんのよとか言われないことに安心しつつ、俺はちゃんと男として見られているのかということが不安になった。
「別にいいよ。ヴィタって女の人には懐くの早いから」
「でも、山田君にはすごい懐いてるみたい」
「だってそりゃ、飼い主だし、それに……あ、いいや」
 思い出したのは小学生の時だった。あれは大切な思い出だろうか。こんな時にならないと思いだせない思い出だというのに。しかし、あの出来事があってから、俺はヴィタと仲良くなれたと思えたのだった。
 不自然な言葉の切り方に、すかさず島津さんの捜査が入る。何、何よ! と詰め寄られて、島津さんの息が感じられる距離になると、さすがの俺も降参した。
「分かったよ、話すから」
「良し!」
 縮まった距離がたちまち離れた。それがとても惜しいことのような気がして、つい手を伸ばしかけてしまう。けれどその手は伸ばせなくて。
 俺は話し始めた。
「あれはね、俺が小学校五年生の時かな……」

 その日は俺にとって最上の日だった。だって、念願の飼い犬が俺の家に来るのだから。
 近くのホームセンターで買ったそいつはミニチュアダックスフンド。グレーとホワイトが混じったような色で、本当にまだ子犬だった。ある日買い物に行った時に俺が一目ぼれし、そして飼いたい、とねだったものだった。
 俺は昔からあまり物をねだらない性格だったらしい。今でこそ、いや、学校でこそあんな性格であるがしかし、家ではこんな静かな子で大丈夫かしらと言われている、結構真面目、というか寡黙、というか、まぁとにかくそんなキャラだったのだ。
 そんな俺がこんなに一つのことをねだった、その事実が親を驚かせて、そしてしょうがないかと買ってくれた。それがヴィタだった。こいつは最初から曲者だった。
 母さんにしか懐かないのだ。
 俺が飼いたいと言って買ってもらったというのに。それなのに、こいつは俺に牙ばかり向ける。可愛がりたい、でも出来ない。そんなジレンマが幼心にショックだったのを覚えている。
 ある日家族でピクニックに行った。車で二時間ほど行った山である。軽登山にはちょうどいいとされている山でその時期は秋も近かったためか、木々は緑から朱色へ変わっていこうとするのが分かった。
俺はヴィタに早く懐いて欲しくて、母さんからヴィタのリードを奪うと、そのまま歩こうとした。その時だった。嫌がったヴィタがそのまま走りだし、俺はその力に抗う事が出来なくて。そのまま走らされて、山の段差に足を挫き、そのまま斜面を転がり落ちた。
一回世界は暗転し、次に目を覚ましたら、よく分からない山の中。
周りは同じような木々で囲まれ、どこから来たのか、どこへ行けばいいのかもわからない。俺は夢中で泣いて、そしてヴィタの存在に気づく。ヴィタは近くにいなかった。いつの間にかリードから手が離れていて、俺は一人ぽっちなのだと悟る。
 その瞬間、世界がもう、何か違うものだと思ってしまって。俺は身動きも出来ずにただうずくまって。ひたすら父さんに母さん、ヴィタの名前を呟き続けた。
 いくらか時間が過ぎたころ、ガサリと近くの地面が鳴る。俺はびっくりして、その一画を凝視した。そこからは、片足を引きずったヴィタがいた。
 思わずヴィタに抱きつこうとするも、ヴィタは唸ってそれを拒む。悲しくて、俺はまた泣いた。なんで俺には懐いてくれないのか、なんで、と。野犬がでたのはその時だ。
 どう見てもがたいの大きなそいつは、俺を一睨みするとすかさず飛びかかってきた。俺はどうしようもなく無力で、どうしようもなく泣き虫で、弱い奴だったから、もうその時には恐怖で目をつぶった。
 でもいつまで経っても、そいつの攻撃は俺には来なかった。恐る恐る目を開ければ、目の前には俺を守って必死に戦ってくれていたヴィタがいて、ヴィタがそいつを追い返してくれたのだ。
 辺りは夜になり、暗くなる。寒くなって凍えていると、段々、ヴィタがこっちに近寄ってきていて。俺はポケットにあった犬用のお菓子を取りだした。仲良くなれるようなことがあれば、自分であげたいなと思っていたのだ。
 ヴィタは俺の手からお菓子を食べて、それがなんだか嬉しくて、また泣いた。ヴィタは俺の膝に乗り、頬を舐めてくれて。慰めてくれているような気がしたんだ。

 その事故があった時から、俺とヴィタは本格的に仲良くなった、と。ただそれだけの話だった。
 懐かしい話もあったものだと話終えてから少しの間感傷に浸る。こういうことを覚えているって、心にとっても多分大事なことなんだろう。それだけでこんなにも優しい気持ちになれるんだから。
 横を見ると、涙腺が緩んでいる島津さんの顔が映る。
「いい話ねぇ」
 そんなにいい話だろうか。正直、こんな話はすると、よくあることじゃね? とか言われるのが常だから、あえて言わないようにしていたことなのに。そんなことで泣きそうになっている彼女がおかしくて。でももっとそんな顔が好きになった。
 感受性も高いんだなと思う。
 泣いている姿も可愛いなと思った。
「そうかなぁ。でもま、ありがとう。この話で真面目に泣きそうになってるの見たの島津さんが初めてだ」
「そうなの? おかしいわね、こんなにいい話なのに。みんな心がおかしいのね、多分」
 不意に会話が止む。
 ふわりと川に乗るようにして風が吹いてきた。川の匂いや芝生の匂いをたっぷり吸いこんだ風はこの時期だから寒いけど、それとは別に心地よいとも感じられる。
 この沈黙の中で俺は思いだした。この前のことである。電車の音で聞こえなかった、おそらくは大事なはずの言葉。その続きを聞きたいなと思ったのだ。
 隣を見る。相変わらず島津さんはヴィタを膝に心地よさそうにしていた。この空気を今から壊すかもしれないことを心のうちで謝る。でも、何かを言わないと始まらないから。あの時の言葉は聞かないといけないのだ。
 自分にとっては恐ろしくマイナスな言葉かもしれない。プラスな言葉かもしれない。どれにしたって、島津さんが俺に話してくれようとした。それを聞かずに何を聞く。
 不安や色々なものが混沌として、俺はその声帯をふるわせられないでいた。いつもならば無駄にでかい自分の声が今日この時は十分な機能を果たしてくれない。そんな物は欠陥品だ。
 だから頑張れ。俺の声帯よ。
「あの!」
 出た。
 なんとかその一言を紡ぎだせたことを安心し、そしてまた緊張した。島津さんはこちらを向き、頭の上で疑問符を浮かべている。その先が何かを知りたいらしいが、生憎、自分で言っといて、その先はビビって言えてないでいる俺が何とも恨めしいことか。
 とりあえずイメトレをした。
 この先言ったらどういう言葉が返ってくるだろうか……。いや、そんなことを考えてしまうから先が言えないのだ。
 誰かが言っていた、その先に進めないのは、最初からこの先起こるかもしれない最悪な事態を思い浮かべるからだ、と。もしかしたら、この先には幸せなものが待っているからもしれないのに。なのに最初から最悪なことを考えている。だから進めなんだ、と。
 ええい、ままよ!
 俺は目をつぶった。何もかもを視界からシャットダウンした。それにより俺の不安値は約二十%も減少した! さていけ自分よ!
「あのさ、この前のことなんだけど!」
「この前?」
 おし順調だ。
「駅で、島津さんが何か言おうとした時のこと。あれ、電車の音でよく聞こえなかったんだ」
「え……」
 相手は黙る。俺は瞼の中に焼き付けられている、空想の島津さんを見た。その表情は怒りか、悲しみか、恐れか。そのいずれも該当するような複雑な顔で俺を見ている気がしてならない。
 それも自分の不安フィルターに通しているからそう感じるのか。では現実を見るにはどうすればいい。このフィルターを一時的に取り除きたい。では、目を開ければいいのではないか。
 俺は目を開けた。そして目の前の島津さんは顔を赤らめて、悶絶している。ヴィタには伝わらないように悶絶しているものだから、その微妙な仕草がまた可愛らしいと不謹慎ながら思ってしまう。
「あの……」
 続きが出ないようなので、恐る恐る俺は話しかける。島津さんは動きを止めて、大きくため息をついた。
「聞こえて、無かったの?」
「うん」
「だからかぁ……」
 だから? 意味が分からなかった。それが分かれば俺は態度を改めていると言っているような素振りである。
「聞かせてもらえる?」
 言うと、島津さんはジト目で俺を見た。言いたくない感じがとても綺麗に表現されていると思います、と美術の先生張りに評価してみた。心の中で。
「聞きたいの?」
「もちろん」
「誰にも言わない?」
「ん? ああ」
「今一瞬、どもったわね、信用できないわ」
「いや、言わないから。あの泣いてたこと言ってないことが何よりの証拠だ!」
「……そうかもしれないけど……」
 マシンガントーク的な応答が終わると、島津さんはまたため息をつく。これは言うのが嫌というよりも、それを言うのを躊躇ってるように思えた。言ってもいいけど、心の準備がって感じのあれだ。
 ばちこーい!
 いつの間にか目の前の空き地では少年野球が繰り広げられている。ここは、微妙に外れているからまぁ位置的には問題ないだろうが、なんだか複雑な心境だった。まさか、こんな目の前で野球してたのに気付かないなんて、どれだけ俺達は言いあっていたのだろうかと。
「キャウン~」
 ヴィタが目を覚ます。ブルブルと震えると島津さんの膝から飛び降りた。そしてどこけ行くのかと思えば、近くの地面で用を足していた。
 見上げれば飛行機雲が伸びていく。
 雲は今日も滞りなく流れていて。
 空気すらも午後の穏やかさをはらんでいるような感じがした。
 俺と同じように犬の散歩をしている人や、ジョギング中のマダム。
 エイオーッと掛け声がやかましく走る道着を着た男たち。ほとばしる汗が嫌だった。
 そんな平和な時間が流れて、その中で今俺達は、真剣に話し合っているんだ。それを思うと、なぜだか込み上げてくるのは笑いで。それはどうやらこらえられないものらしく、もうお腹から這い上がって、のど元まで来ていた。そして、
「「プッ……アハハハ」」
 完璧に笑いが被った。相手も同じ心境だったのだそうだ。お腹を押さえながら島津さんは言った。
「なんか、真面目に悩んでるのが馬鹿らしいわね。こんな空気だと」
「違いない」
 ふぅとお互いため息をついて。そして島津さんはこちらを見る。目には闘志のようなものが見えなくもない。この平和な空気の中に一粒の泡が浮かんでいるようなそんな感覚。
 俺も島津さんを見据えた。島津さんは深呼吸をする。そして、
「この前のことを話すわ」
「うん」
「私はね」
「うん」
 どくんと心臓が跳ねる。先ほど弛緩したはずの空気がまたきゅうっとしまった感じだ。ああ、自分はこの空気が苦手だとつくづく思えてしまう。これは先が気になる小説などではなく、先を聞きたくはないが、聞かなければ始まらない現実なのだから。
「私は、女の子が好きなの」
 は?
 疑問符が飛び交う。
 今の言葉を整理しようではないか。まず何を言ったんだ。どう解釈する。これにはどういう暗喩が含まれて……いるはずがない。だってそれならどうしてそういうことを言わないといけないのだ。
 初めから俺を騙すつもりでいたのか。もしくはこれは咄嗟に出た冗談なのか。どちらにしろブラック過ぎる。チキンハートを持つ俺には少々ばかりか大分辛みの強いハバネロのようなもので。
 この瞬間から俺は耳を閉じたい衝動へ駆られる。そして、それを実行しようとした。最後の一瞬で視界に島津さんが入る。そこには目を逸らさないでこちらを見続ける彼女の姿。
 俺は恥じた、自分の行動を。島津さんは精一杯言ってくれた。おそらくはこの穏やかな空気を完全に壊してしまう、もしくはそれ以上に、せっかくここまで仲良くやってこれたのに、その関係すらも壊してしまうと自覚しながら。
 少なくとも俺は島津さんのことを友達だと思っていたし。島津さんも俺のことを友達だと思ってくれていると信じたい。だからこそ、こんな行動に出た彼女に最大の敬意を払わないといけないと思ったのだ。
「そう、なんだ」
 やっと出た言葉だった。絞りとるように飛び出した言葉のなんと貧弱なことか。こういうときは、どうすればいい? どういう声音で、どういう会話をすればいいのか。学校で特訓した人間関係のマニュアルは一瞬の彼女の一言で玉砕し、白紙へと戻ってしまっていた。
「ショック、だった?」
 ショックじゃないはずがない。もう足元から底なしに沼にはまったような、そんな気持だった。これが夢だったらいいのに。そういうことを心の底から願った一瞬だった。
 島津さんは先ほどの笑顔から反転、悲痛そうな笑顔を向ける。
「ごめんね、こんな話をしてしまって、でも、山田君には言っておきたかったんだ。私の友達だし、それに一つだけ協力してほしいこともあったから」
 でも、と。
「ごめんね、やっぱり、無理だったみたい」
 きちんと俺に届いたらこうだ。以前までは聞かないといけないと思っていた言葉が俺の胸に深く突き刺さる。聞かなきゃよかった。だって、俺の顔は今、酷い造形になっているに違いない。
 彼女のことを直視できない。それくらいに心の中が闇に染まっていた。
 そして島津さんは立ち上がる。零れ落ちたのは涙か。それとも別の液体か。
 いや違う。あれは紛れもない島津さんの涙だったんだ。立ち上がる体を俺は掴んだ。きっちりと掴んだ腕からは島津さんの温かさが流れ込んでくる。こんなに優しそうな子にそんな顔をさせてはいけないのだ。フェミニズム精神に溢れた心がそれを呟く。
 でも実際のところはそんな大それたことじゃない。全世界のフェミニズムに関することを考えたいわけでもない。みんなの涙を見たくない、なんてヒーローみたいなことも考えていなかった。ただ一人、目の前の女の子の涙を拭ってあげたくて。
 泣きたくなるくらい切ない気持ちで俺はこう言おうと思う。
「泣かないで。そんなことないから。俺は島津さんの友達だから。だから、全部から逃げたくない。悲しいことがあれば来ればいい。辛いことがあるなら、俺のところで泣けばいい。悩みたいのなら俺に愚痴をたくさん吐けばいい。俺はいつでも島津さんの味方だから」
 本当の真実の思いと、それに混じった羞恥からのオブラートが半分ずつのセリフを言い終えると、島津さんは目を見開いた。
「ありがとう」
 儚いけれど。
 もうこの時点で気付いてしまった。俺にはもう立場が無い。もう“男”としての立場が無いことを。だから決めたんだ。だったら俺は島津さんにとっての友達としての立場を極めようじゃないかと。
 失恋って悲しいんだなと思う。
 ノリで付き合った女ならいた。だって俺は学校ではそういう仮面を被っているからだ。本当は根暗でどうしようもない臆病な俺を隠すように。
 そんな本来引っ込み思案な俺だからこそ、その最初に夢中になりかけた恋に想いを伝える前に敗れてしまったことが悔しいと思う。
 だからって今から言うか! という気持ちにはならない。それは俺にとっての島津さんの笑顔こそが、それを守ることそこが、俺にとっての青春だと理解できたから。冬なのに俺の青春は今から始まるのだ。
 甘酸っぱいのじゃない。出来れば最高に切なくて熱い青春にしてやろう。彼女の笑顔がヒマワリのように咲き続けることを信じて。
「おう! 友達だからな」
 また仮面を作る。彼女を笑顔にするための仮面だ。それはいつでも笑顔という仮面。
「それで相手はいるの?」
 俺の笑顔に安心したのか、島津さんはコクリと頷くと、座りなおした。俺も座りなおす。すると、今度は俺の膝にヴィタが乗った。しきりに鳴いて、俺の頬を舐め続けている。きっとヴィタなりに俺を慰めてくれているのか。
 ヴィタとの友情がさらに深まった気がした。
「相手はね」
 二度あることは三度ある、という言葉をご存じだろうか。
「三年の高橋優佳先輩なの」
 俺は本日二度目の、いや三度目か? もうそれすらも忘れてしまうほどの衝撃を受けた。
「へ? 優佳先輩?」
 高橋優佳、三年二組で席は真ん中の少し前らへん。好きな食べ物は甘いものより辛めのもの。好きな動物はフェレットで好きなタイプは乙女の秘密。見た目は可憐で少し茶色の混じった綺麗なストレートの髪。腰まで届く長さで、その穏やかな見た目とは裏腹に結構男気がある。
 なぜそんなに知っているのか。
 簡単なことだった。優佳先輩は俺が所属する保健委員の委員長で、一年の時からお世話になってる人だったのだ。
 もうここまで土台は出来ている。島津さんがこの先なんて言いたいのかなんて想像がついた。
「山田君にはその仲を取り持ってほしいのよ」
 ここまで出来すぎていると思わず先ほどの言葉を撤回したくなる。これではまるで、このために俺と仲良くなったみたいではないか。
 でもまぁ、それは考えずに置いておこう。今考えたら折角芽生えた……偽物かもしれないけど、友情に傷が付いてしまう。そんなことは考えないで、それは意識の外のごみ収集所に捨ててしまえ。俺は島津さんの笑顔を守ると決めたんだから。
 島津さんとの別れ際に、俺がいいよと言うと、とっても笑顔でありがとうと言ってくれた。段々島津さんの乗った自転車は遠のき、そして俺はその芝生にすとんと腰を下ろした。
 肩にヴィタが乗る。耳元を舐めて、スリスリしてきた。ああ、友情とはいいものである。こんな時に慰めてくれるんだから。
「大好きだぜっ! ヴィタ~~」
 抱きつくと嬉しそうにヴィタは鳴く。俺の嘆きは朱色に染まりかけた天に空しく響くだけであった。
 尚、近所の山田家の息子さんが犬に求愛をしていたという噂が流れたのは余談である。
スポンサーサイト






カテゴリ別オンライン小説ランキング 小説・詩ランキング
*Edit TB(0) | CO(0)
Tag List  [ * ]   [ *長編 ]   [ *恋愛 ]   [ *学園 ]   [ *青春 ] 

~ Comment ~

 管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

MENU