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「短編・SSその1」
『陽炎の風景』


『陽炎の風景』

2009.05.24  *Edit 

『陽炎の風景』

 気分が重い。何でこんなにも重いのだろうか。
 理由は知っていた。ただ言葉にしたくないだけで。
 明日からどうしよう、そう思う。
 持ち物はボストンバッグ一つだけ。本日の最高気温は三十六度なり。
 正直に言おう、キツイ。もしかしたら、明日は生きていけないのかもしれない。もしかしたら、熱中症にでもなるかもしれない。
 そう言うことも相まってか、先ほどから頭を巡る考えとは、明日はどう生きていこうか。近くに手頃な公園などあっただろうか。死んだら……自分の遺体はどうなるんだろう。
 そんなようなネガティブなものばかり。
 考えてはいけないって言うことは分かっている。でも考えずにはいられない。
 空を仰いでみた。
 夏の空は南に高く、入道雲がマフィアのドンみたいにずっしりと威厳を保っている。それ以外に見える青はスカイブルー。果てしなく常夏の海を連想させる色使いの空だった。
 聞こえてくるBGMは空の色とは裏腹に蝉の大合唱である。ミ~ンミンミンと言うのが少しだけロック調に聞こえなくもないが、それは恐らく今が暑いせいである。誰がこんなものをロックに聴いているのだろう。少なくともそれは一人だけ。自分だけであるという確信はある。
 アスファルトはひたすらに俺の体を焼いている。遠赤外線は出ていないのかもしれないが。中までホクホクと火が通って、それはもうおいしそうになりそうである。
 冷たいものが欲しい。思ってはみたものの、そう言えば昨日はゲームセンターでお金を使いすぎて金欠だったことを思い出した。ついでに言うと、バイト代は出たばかりであったから次に支給させるのは来月の二十五日であるからして。
 何であんなものにお金を使ってしまったのか。理由を問われればただ、やけくそだったと言うしかない。情けないことこの上ないのだが。
 そう、俺は親と大喧嘩をしたのだった。
 喧嘩の原因は何だと聞かれれば、理由は簡単なこと。将来に関する事だった。あれは昨日の夜の出来事である。
 夕食時にテレビをつけた。片手にはテレビのリモコン。もう片手には地デジチューナーに切り替えるためのリモコン。テレビをつけたと同時に、アナログのチャンネルで一瞬だけ「ピコーン」と緊急ニュースが出てくる時の序幕の音がした気がしたが、片手には地デジのリモコンがある。あ、と思った時にはビデオ1→地デジにしてしまっていた。
 まぁ端的に言えばそれが喧嘩の原因だ。
 その時の流れていたのは次期民主党の党首が誰になり、その民主党内の重要ポストに就くのが、票数で敗れた誰であるっていう内容のものだった。親はそれが見たかったらしい。だから素早く替えてしまった俺に文句を言ってきたのだ。
 売り言葉に買い言葉と言うやつで、そこから口喧嘩は始まった。親の「あんたは社会学勉強してんだから……」から始まり「しょうがないだろ、反射で……」と続き、頭に血が上っていたから良くは覚えていないが二階に上がって、詰めるもん詰めて玄関を強引に開け放ったのである。
 その日の夜は風が強くて、綺麗なダークブルーの空が印象的だった。ついでに言うと満月ではなった気がする。
 風もあり雨も少し降っていたので、その日はとりあえず、近くの公園で夜を過ごした。公園と言っても屋根のあるベンチ以外は野ざらしの公園である。少年野球団とかがよく、練習に使っていたところだ。
 で、今に至ると。
 前を見ればひたすら住宅街が続いている。熱の放射は止まらず、一向に体がクールダウンする気配は見せられていない。いい加減頭がぼうっとしてきたところだった。
 やがて道は畑に出る。ここらにしては結構珍しい感じに畑がすーっと広がっていた。いい天気であるから、その下で見る畑とは豪快にして壮大なものに見えた。丘に面している畑に、その横にある、打ちっぱなしのゴルフ場。
 歩く道は完全舗装の道から、道の所々が砕けてガタガタな半分舗装の道になった。
 ふらりふらりと俺は歩き続ける。
 喉がカラカラだったんだ。水が欲しい。しかし、どこにもなく、あるとしても自販機である。今なら嫌いなウーロン茶だって、ジャスミン茶だって飲めそうな気がするのに、いかんせん、この状態で唯一ひんやりと寒いのは財布だけだったりするのだった。
 カコーン!
 小気味のいい音がしたかと思うと、思いっきりスイングされたゴルフクラブに打ち出された球が放物線を描いて結構飛んでいた。あんな風に空を飛べる玉が羨ましいと思ったくらいだ。きっと涼しいに決まっている。
 ミ~ンミンミン……。
 蝉は鳴くのをやめなかった。うるさくて仕方がないし、何より気持ち暑くなると言うのに。その音を聞いているとだんだんと頭がフラフラしてくるのがわかった。先ほどよりも波の強いやつだ。
「あう」
 大きく体が揺れたのを片足で受け止めた。危ない。これは危ない。
 自らの身体の危険を感じた俺はどこか休めるところがないか探してみた。しかしうまくいかない。だって、視界が靄がかかったみたいに見えないのだ。フラフラしすぎてどこが道なのかも曖昧になってきた。
 遠くの景色が揺れている。あれは陽炎と言うやつなのだろう。陽炎がもっと強くなって蜃気楼になると聞いたことがある。
「ぎゃふん」
 今度は弱音を吐いてみた。
 駄目だ。体のコントロールが効かなすぎる。どうすればいいんだ俺は。
 そう思った時だ。
 目の前の景色が陽炎でぼんやりと輪郭を為さない中、丸太で出来たお洒落そうな喫茶店がなぜだかはっきりと見えた。何でぼんやりする視界のなかであれだけが強く見えるのかは分からない。しかし、今はあそこで休ませてもらうほかは無さそうだ。理由を言えば水くらいは貰えるだろうから。
 店の前に立つと、メニュー表がある。店の名前は「涼香」、サンドウィッチとコーヒーのみ。シンプルな感じが職人肌を感じさせる。とは言っても金はないのだが。
 俺はドアノブを強く握って回した。



 カラン。
 ドアベルがお馴染みの音を立てたかと思うと、ドアを境界線に冷房のひんやりとした空気の層を俺は抜ける。エアフィルターみたいなそれは体を癒してくれる魔法のようだった。
 いきなり力が抜けたように俺は席に着く。ちなみにカウンターは店主との会話が怖いので四人席に一人で座った。なんて贅沢な行為だろうと自分に賛辞を贈る。
 やがて目の前にコースターが置かれ、水滴の一杯浮かんだお冷が置かれた。気づいて俺は店主に謝る。
「あの」
「はい?」
 ここにきて初めて店主の顔を見たことに気がついた。優しそうな老人である。しかし、ただ優しそうなだけではない。どこか威厳も漂っていて、いわゆるダンディな風貌である。
 ダンディな見た目とは裏腹に、笑うと目じりの皺が垂れ下がり笑い皺が浮かんでいた。普段からこういう風に優しく笑う人なのだろう。しかし、こういう人こそ怒ると怖いという話を聞く。このまま何もせずに逃げようか、一瞬、そういう考えが思い浮かんだときだ。
「水だけでもいいですよ」
「は?」
 今度は俺が疑問符を浮かべる番だった。老人はもう一回丁寧に「水だけでもいいですよ」と言ってくれた。
 もしかして、そういう思いが体を巡る。この老人は、俺がお金のないことを知っているのだろうか。だとしたら、なんて心の広い人なのだろう。純粋に感動してしまった。
「すみません、お金が無くて」
「いえいえ、暑かったでしょう……。それに、しばらくお客なんて来なかった。久しぶりです」
 老人改めマスターは、そこまで言うと、思い出したように「あ」と言って、店の奥に引っ込んでいった。俺は頂いた水滴がびっしりと浮かんだお冷をのどに流し込む。ひんやりとしたそれは、ジワーッと体に染み込んだ。この場合違う使い方ではあるが、ある意味で五臓六腑に染み渡る、だ。
 今気がついたことなのだが、このお店にはJASSが流れていた。教養の無い俺にはその曲が何かは分からない。でも、なんだか落ち着くメロディであることは間違いなかった。
 しばらくして、いきなり店の奥のほうで「ガガガガガ」という何かを削るような音がしたかと思うと、今度はシュワーッと蒸気のような音が店内に漏れ出ていた。一旦お冷を置いて、店の様子を伺っていると、厨房のほうからマスターがサンドウィッチとアイスコーヒーをお盆に乗せてこちらに歩いてくる。歩いてくるときにギシギシと鳴る床の音が印象的だった。
 やがて俺の目の前まで来ると、それを目の前に置いた。
「どうぞ」
 目の前に座る。
 しかしお金を持っていないというにどうしたことだろう。これは頂けないものだ。何せこれでは食い逃げをすることになる。
「大丈夫ですよ。これは私からのプレゼント、ということで受け取ってください。暑かったでしょう」
 相変わらず柔和な笑顔のマスターはコーヒーを押しやった。
「でも」
 案外な強引なマスターの勧めに少し意地になってもらうことを否定する。すると、マスターは言った。
「では、これではどうでしょうか」
「え?」
「このジジイのお話を聞いてくれる御代ということで。少しばかり付き合ってください」
「はぁ……」
 そこまで言われて断れる馬鹿野郎がいるだろうか。間違いなく、俺に気を使ってくれたことは分かる。ということで素直に好意に預かることにした。
 頂きますをしてサンドウィッチを口に入れる。トマトの酸味やチーズのまろやかさが汗だくで歩いてきた俺には堪らない。そして、たった一日ぶりくらいの食事なのに、人の温情が入ったサンドウィッチとは、なぜこんなにも美味しいと感じてしまうのだろう。俺は思わず目から零れ落ちそうになる涙をペーパーナプキンで拭いた。ぐしゃっと握るのを忘れていたから擦れて痛かった。
「美味しいですか?」
「ウマイっす。マジで美味しいです!」
 コクも苦味も全然そのままのアイスコーヒーも美味しかった。ガムシロップやミルクなんて言うのは外道だ。アイスでもブラックで飲まないと。
 一通り食べ終わり、アイスコーヒーをちびちびと飲んでいたら、今まで食べているのを見ていただけのマスターが喋り始めた。
「いやはや、若いって言うのはいいもんだ」
「そう、ですかね?」
 何か無性に照れくさいことを言われた気がして、鼻の頭をポリポリと掻く。マスターは「ええ、そうですよ」と笑った。
「聞いても、いいですか?」
 マスターは抽象的な言葉を使って聞いてくる。主語も無い会話である。しかし、俺には何のことだか分かった。一瞬だけ、視線が自分の持ってきた、ボストンバッグに行った。
「はい、美味しい食べ物や飲み物を頂いたお礼です。話します」
「そうですか」
 俺は話し始めた。
「実は……」
 俺は全てを話した。昨日のことはもちろんのこと、その前から少しずつ親には不満を感じていたこと。それが昨日のことで爆発してしまったんだと。
 不満をすべて話した。
 ゴミ出しの時の口出しがうるさいとか。
 掃除しなさいとうるさいとか。勉強しろと言われるとか。仕事から疲れて帰ってきてよく当たるんだ、と言うこととか。全て。この老人にならなぜだかすべてを話せる気がした。
 話していて心の中が澄んでいく錯覚に陥る。
 話し終えるとしばらく店内が静まり返ったような沈黙が訪れた。時間の止まったような空気の流れが俺を否応なしに息ができなくする。しかし、マスターがにっこり笑うと時間が動き始める。
「そう、ですかぁ」
 辛かったんですねと続ける。そして、
「これをお飲みなさい」
 コトッと置かれたのは出来たてで湯気のもうもうと上がるホットコーヒー。いつ作ったのだろうと不思議に思いながらも、その香ばしい香りに惹きつけられ、いただきますと一口飲んだ。
 頭がぼーっとする。心地よかった。
 口に広がるほのかな苦みとコクが堪らなくおいしい。マスターは俺の旨みのツボを押さえているなと思った。
「美味しいです。心が休まって、それで、この香りと味が自分のやったことを許してくれているみたいで」
 その時俺はどういう気持ちでその言葉を口にしたのだろうか。分からないというのが実直な気持ではある。でも、その中には、幾ばくかの贖罪を求める気持ちは少なからずあったのだろうと思う。
 何に許して貰いたいのだろうか。親に? それとも、不甲斐ない自分の行動をマスターに許してもらいたいのか。
 思わずシャツの胸の部分をキュッと掴んでいた。実際に体が苦しいわけじゃない。心が苦しくて。
 やがてJASSは止み、BGMがカーペンターズのsingに変わった時のことだ。
 今まで目の前にあったお冷の中身は氷が全て溶けてしまって、もはや水になってしまった時のこと。
マスターは不意に立ち上がると、俺の肩を叩いた。見上げると、先ほどから変わらない、老人の柔和な笑みがそこにある。マスターは俺が気付くのを見計らって、部屋の隅にあるスペースを指差した。
「ウチのお喫茶店ではね、雑貨屋さんも小さいながらやっているんだ。見てみるかい?」
 そのシワシワではっきりと見えない瞳が何を伝えたいのかは分からなかった。でも、何か意味があるのかもしれない、少しは興味があった。俺は頷くと席を立つ。
 そこは、雑貨屋、と形容していいほどそのスペースは大きくなかった。大きさで言えば約六畳かそこらへんの大きさだった。
 品揃えは雑貨と言うだけあって色々ある。お洒落で渋めなデザインが主で、台所用スポンジやらマグカップやら。アロマポットやノートまで。とにかく色々なものがあったのだった。
 そしてそれらはこの店のコーヒーの匂いを一杯染み込ませて、とても良い風合いを出している。マスターの人柄をも感じさせるものたちだった。
「ここはね、妻が好きで始めたところなんだ」
 いつの間にか隣にいたマスターの顔を見る。柔和な笑みに少しだけ陰りが見えた気がして、不思議に思う。しかし、マスターの次の一言で納得がいった。
「あ、妻と言うのは死んだ妻の話なんだがね……」
 なんて悲しそうに話すのだろう。マスターの今となってはしわがれたであろう声は、俺が来たばかりの時は安らぎばかり与えてくれたのに。なのに、今はどうしたことか。マスターの奥さんの話をする声や口調は、堪らなく悲しく見えて。淋しく見えて。とても切なかった。
 マスターは話してくれた。
 マスターの奥さんの名前は涼香と言って、この店の名前でもあるんだということや、実はマスターの子供時代はすごく悪くて、アウトロー一直線だったということ。奥さんとの馴れ初め。共に過ごした喫茶店での生活。最後に奥さんの死んだ原因が癌だったということだ。
「とてもね、それはもう、こちらが涙を流すくらいに妻は苦しんで死んでいった。人はよく、死にざまにその人の人柄出ると言うが、私はね、それは違うと思うんだ。だって、それならばなぜ妻はあんなに苦しんで死んでいったのか。優しくて、温かくて、私の大事な妻だった彼女が。悔しかったよ。替われない自分に、痛みを共用できない自分にね」
 最後に「大事な宝物をうしなってしまったのさ」と言って口を閉ざした。
 だからこの場所を残しているのだろうかと思う。奥さんとの思い出として、一番に残るのはこの喫茶店と言うことか。しかし何だ。とても重い話で俺は正直心がめげそうだった。奥さんとの痛みを共用できないと嘆いていたマスターを見ていた時はこちらが泣きそうになってしまった。
 大事なものを無くす。それ一体、どういう気持ちなんだろうな。俺は考えてみた。
 もちろん彼女なんていたことはないから、奥さんがどうとかと言うのは言えないけれど、しかし、それを置き換えて、たとえば家族。家族を亡くした時の自分はどういう気持なのだろうかと。
 母さんが死んで、父さんが死んで。みんないなくなって俺だけが残るとしたら。
「この貝を耳に当てて御覧なさい」
 思考に耽る俺に、マスターはそっと巻貝を寄越した。耳に当てると海の音が聞こえる。
 ザザーンと波打ち際に砂が持ち上がっては引き寄せられて。水色の海を連想した。何とも落ち着く音色だろう。
 しばらく聞いていると、マスターの「これはいいものだろう」と言う声で現実に引き戻される。言いえて妙で、先ほど荒み気味だった俺の心は、また安らぎに満ちている。でもそれは、貝のおかげでもあるのかも知れないが、何よりこの空間が俺にとっての安定剤の役目を果たしているのだろう。
 俺は他の棚も見渡す。
 芯を出すためにノックする部分がコーヒー豆の形をしたお洒落なシャープペンシルや、ランチョンマットや陶器だろうか、これに淹れたコーヒーは旨いに違いないと思う風流なコップ。そして、昔よく見たブルキの人形をイメージしたペン入れ……。
「あれ、これって……」
 俺はペン入れを持つと隅々まで観察してみて、やっぱりと言った。
「これ、うちにもありました。母と父の思い出の品みたいで、小さい時に俺が我儘を言って貰ったものが」
「そうなんですか」
「はい、このペン入れは両親の想いが一杯詰まっていたのでしょう。その頃の俺は愛情に飢えていた年ごろと言うか……。お恥ずかしい話なんですが、これが机にあるだけで、このブリキ人形のロボットに宿った両親の温かさが俺を見守っていてくれている気がしたんです」
 そこまで言って思った。と言うことは両親も昔、ここに来た事があるんだなと言うことを。
「そうなんですか。と言うことは、それはもう大切にしていたんですね」
「はい、とても。壊れても直して。今でも机に置いてあります」
そう、ブリキ人形の形をしたペン入れは、俺にとって両親に対する思いと比例しているんだ。壊れた時は直して使ったし、新しい勉強机を買ってそのペン入れが不釣り合いになったとしても、ポジションを移動することはなかった。
とても大切な宝物。
そう、俺にとっての両親も……。
またずきりと胸が痛んだ。罪悪感をかみしめていた。そう言えば両親はどうしているのだろう。最近は物騒な事件が続くし、心配しているんではないだろうか。ただでさえ忙しい両親に要らぬ心配をかけているんではないだろうか。
 ボーン、ボーン……。
 振り子時計が時間ちょうどになったことを知らせる鐘を鳴らした。マスターが俺の手元から自分の腕時計に視線を移し「これはこれは」と苦笑いしている。
「ジジイになると、時間の感覚と言う物が無くなってきてしまうものでね。もうこんな時間だと言うのにねぇ、君、そろそろ帰ったらどうだい?」
 言われてから時計を見てみると、確かに帰るにはちょうどいい時間になっていた。
 窓から差し込む夕焼けの赤は、オレンジと言うよりは少しばかり、青味を帯びている。空が向こう半分は漆黒の青に染まり始めているためだった。カラスはなきやみ、外灯がポツリポツリと明かりを灯しては道を照らし始めている。
 しかし、でも、そう思う。
 だけどこうも思った。今がちょうどいいチャンスなのではないかと。そう思ったら俺の中の決心は固まっていた。
 ――帰ろう。怒られるかもしれないけれど、帰って謝ろう……。
「うん、そうです、ね。分かりました。帰ってみることにします」
「そうか。それは良かったです」
 俺は先ほどの席に戻るとボストンバッグを肩に担いだ。出口へと向かう。そこでドアノブに手をかけて思い出したようにマスターに言った。
「そういえば、先ほどはいいと言っていましたが、やっぱり僕にお代を払わせてください。今は無理ですが、今度お金を作って持ってきます」
 その言葉にマスターは困ったように首を振った。
「いえいえ、今日は本当に楽しかったし、それにね、あなたが再びここを訪れられる日は来ないことだろと思うんですよ」
「え?」
 どこか意味深な言葉に呆けていると、マスターは先ほどのブリキ人形の形のペン入れを僕に渡した。優しい瞳に見つめられ、思わずそれを受け取ってしまう。
「お土産です」
 さぁ、と。
「あなたの戻るべき居場所に、帰りなさい……」
 カランとドアベルが鳴った。俺は頷くとその扉をくぐり家路着こうとする。そしてドアが閉まっていく中で、最後に一言、マスターの声が聞こえた気がしたのだ。

 ――大事にしなさい……。

 俺は一回だけ、強くその言葉に頷いた。



「ん……あれ?」
 俺はなぜだか目を開けた。そして目の前に飛び込む風景にさらに首を傾げるのであった。何と、最初に視界に飛び込んできたのはまっ白い天井に鼻を刺すような消毒液の臭い。横に視線をスライドさせれば仕切りのカーテンに小さい椅子と、どう見てもここは病院の一室だ。
 そして自分の格好と言えば、ケープのような入院患者の着る服を着て、ベッドに横たわっていたのだろう。
 ガラッと扉を開く音が聞こえた。そこを注視していれば母が入ってくるところだった。母は俺に気づくと目を見開き、そして走ってくる。病院内は走るものじゃないと注意する前に抱きしめられた。
「よかった。目が覚めたんだね」
「は? ああ、覚めたみたい」
 母は涙ぐんでこちらを見る。体に異常は無いか聞いてきた。別にないので何もないと答えて、何があったのかの説明を求めた。
 母の話を整理するとこうだ。
 家出をして少したって、山田駅の近くにある打ちっぱなしのゴルフ場の道で俺はどうやら倒れたらしい。熱中症とのことだった。その日はニュースで例年に見ない猛暑日だったそうで、前日からずっと外を徘徊していた俺にとっては、暑さ的にも体力的にも限界が来ていたのだろう。
 倒れた俺は幸いなことにゴルフ場を訪れたお客にすぐに発見され、救急車で病院に運ばれたらしいとのことだった。そして今に至ると。
 閑話休題。
 しかし、それならばおかしいことがある。
 俺は首を傾げた。だって、それならばずっと話したりしていた喫茶店の話はどうなるんだろと言うことだ。
 おかしいではないか。俺が熱中症で倒れて運ばれている時間に、サンドウィッチやアイスコーヒーを美味しく頂いていたことになる。どう考えても辻褄が合わない。
 でも、そう言ったことはもはやどうでもいいのかもしれない。今目の前で家族が悲しんでいてくれたことで、俺の心は温かい気持ちで溢れているんだから。
「あのさ」
「何?」
 心に決めていたこと。喫茶店を出るときに決めたことを今言おうと思った。
「この前はごめん、色々と言いすぎたかもしれないし、それに、倒れて心配かけたし」
 恐る恐る目だけを母に向ける。どんなに怒るだろうと心配しながら。しかし、そう言った思いとは裏腹に、母は軽く怒っただけで済んだ。そして、
「そうよ、確かにね。もし、あんたがあんなところで死んだら、私はいったいどうすればいいの? あんなくだらないことで喧嘩別れなんて嫌よ」
 ポンポンと。
 俺の頭を母は撫でてくれた。ありがとうと母に手を伸ばそうとして、今まで布団に入っていた自分の片腕に握られているものに気がつく。
 それは果たしてブリキ人形の形をしたペン入れであったのだった。
「あ、それ家から持ってきてたの?」
 母は苦笑いしてそれを見た。本当に好きねぇと言いながら。俺は曖昧に頷くと心の中では違うよと言っていた。これではっきりした。どういうわけかは知らないが、やはり俺は喫茶店「涼香」に行っていたのだ。マスターとの会話もあのコーヒーの味も本物に違いない。そして最後に言われた“大事にしなさい”も。
 俺はまた家族に会えたことをどこかに感謝しながらブリキ人形の形のペン入れを見る。そこからはちょっぴり、マスターの入れたコーヒーの匂いがした気がした。



 後から聞いた話だ。
俺の両親はやはり、喫茶店「涼香」を知っていた。しかし、その年代があり得なかった。その喫茶店に通っていたのは両親が高校生の頃、まだ付き合っていた時の話だというのだ。その時にまだ健在だった涼香さんにいつも来てくれてありがとう、と言われ貰ったのがブリキ人形の形をしたペン入れなのだという。
 まぁそこまではいいとしよう。両親が高校生からのカップルでそのほかには付き合ったこともない仲良し夫婦だということも、その時に貰ったのがあのペン入れと言うことも。しかし、おかしいことが一つ。
 それはその当時はこの町周辺はいわゆる村に近い形だったということだ。
 人口の少ない村で、当時にしては珍しくお洒落だったということで喫茶店「涼香」は一時人気になったということだ。
 人気と言うのはすぐに無くなるもので、特筆した特徴もない喫茶店はすぐに人気のない店へと変わっていった。両親はそう言うことを関係なく行っていたそうなのだが。やがて不況の波がやってきて村は開発を始めることになる。取り壊しては開発し、今の形になったのだ。
 喫茶店「涼香」とて不況のことは例外ではなく、両親とちょっとのリピーターがいるだけの当時にしてはちょっとお洒落な喫茶店は閉店へと追い込まれたのだ。
 そのあとの消息は両親も知らないのだという。現に今の跡地は整地され、広大な畑の一部として機能しているのだから、そこに店がないのは見た目にも明らかだ。

 今でもその道を通る時は目がよく動くのだ。

 そう、かなり暑くて、セミの鳴き声がガンガンと響き渡るような猛暑日に。
 広大な畑の敷地を見渡し、陽炎の中に景色にはっきりと浮かぶ優しいマスターが営業している喫茶店「涼香」を探して。
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~ Comment ~

おもしろかったです! 

なんか、マジで感動しました・・・!
自分ファンタジーばっかり書いているもので・・・
こういうのを見たのは久しぶりでした^^
比喩表現がおもしろくて凄く読みやすかったです。

また来ます-bb

Re: おもしろかったです! 

初コメントです♪とってもうれしいです!
なんか照れますねww

ありがとうございます♪
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